受験戦争や出世レースと昔から競争はあったし、一つの領土を取り合い殺し合うのは人間の歴史の中で何度も繰り返されてきました。
戦争が終わって60年。平和に慣れた僕たちは闘うということを忘れたのかも知れません。
それでもお互いが傷つけ合うことの虚しさや愚かさを解っている人たちは様々な努力をしてきたから今、僕たちは傷つけ合わずにいられるのかも知れません。
最近、騙したり騙されたり、横領したり、傷つけたりと嫌なニュースが増えています。
「勝ち組、負け組」と言い出したのはいつからだったんでしょうか?
我先に「一抜け」するために、頑張ってます。
そのためには他人が犠牲になったとしてもお構いなし。
勝者は「負けた方が悪い」といいます。
まるで「イス取りゲーム」みたいです。
ここに10人の人がいます。
神様が用意してくれたイスは7つ。
当然3人があぶれてしまいます。
その7つのイスを巡って闘います。
ある人は力を使い、ある人は知恵を使い、「一抜け」を狙います。
座れた人は一安心。座れない人は不安を抱えイスの周りを歩き続けます。
やがて7つ合ったイスに7人が座ります。3人は座れず立ちつくします。
勝ち組と負け組の出来上がりです。
座ることが出来た人、立ちつくしてる人、それぞれの人生がそこで終わるのならそれでいいと思うのですが、実はそこからまだまだ続きます。
神様は「座れた人は幸せになる」とは一言も言ってません。「座れなかった人は不幸になる」とも言ってません。
実は「座り方」を見てるんだと僕は思います。
人を押しのけて足を引っ張りイスを勝ち取ってもそれが幸せに繋がるとは思えません。
だからと言って最初から諦めてイスに座る努力をせず、立ちつくすだけの人にも幸せが来るとは思えません。
また、イスは7つしかないけど「7人しか幸せにならない」とは誰も言ってません。
例えば7つのイスを繋げれば10人全員座れるかも知れません。それどころか、もっと座れるかも知れません。
もちろん、一人1個のゆとりは無いかも知れませんがそのゆとりと引き替えに失うモノってなんなんでしょうか?
最近それに気がついてる人たちもたくさんいます。
例えばデパートの統合などもその一つかも知れません。
少なくなった需要に対しお互いが客の取り合いをするよりも繋げることで幅広い客層を座らせることが出来るというもの。
答えは解りませんが、「繋がる」ということが一つのキーワードかもしれません。
Hanaやこのブログで繋がっているみなさんと、もしかしてイスを並べ合う時が来るのかも。もしかして、もうすでに繋がっているのかも。
そんなことを最近考えたりしています。