今日、8月9日は74年前に長崎に原子爆弾が「落とされた」日。
もう1世紀近く前のことで体験した人も少なくなって、「歴史の1ページ」的に扱われやすい。
当然、僕自身も被曝経験者ではなく、実際に広島で被曝した母や、沢山の大人の人に話を聞いただけで、それでも体験した人の話は資料や映像より遥かにリアルです。
新聞やテレビで「いついつ、こんなことがありました。」と見聞きするより、実際の現場に居合わせた人の経験はよりリアルなのと同じだと思います。
先日、京都のアニメーションの会社で放火殺人の事件がありました。僕はそのニュースを見て
「出来るなら時間を今日の朝に戻して欲しい。」
と思いました。亡くなられた方たちを直接知ってるわけではないですが、家族だと朝、「行ってきま〜す。」と出かけて、恋人だと「じゃあ、来週、また、♡」と別れ、中にはちょっとした言葉の行き違いで他愛もないケンカをして、「今夜ごめんねのメールをしよう。」と思ってた人、それぞれの時を永遠に止めてしまう。そんなことがあっていいんでしょうか?
74年前の長崎の朝、多くの人が同じように出かけ、送り出し、別れてそして、その後の時を奪われました。
その原因は「戦争」です。
戦争の「目的」は「領土、利益の奪い合い」です。中には「武器を使う」ための戦争もあります。
そして、戦争の「手段」は「人を殺す」ことです。よく「この国を守るため」という言葉で戦争を推し進める言葉を聞くけど、それも「相手を殺す」手段を使います。
宗教で「右の頬を打たれたら左の頬を差し出せ」とありますが、戦争は「右の頬を打たれそうになったら、さらに強い力で顔面を殴れ」です。
政治家が言う「強い日本」ってそういう意味何でしょうか?
第二次大戦の時、多くの兵士や国民が「家族を守る」の言葉のもとに命を落としました。はたして家族を守ることができたのでしょうか?
広島、そして長崎に原子爆弾が落ちて、数えきれない人の命が無くなり、そしてその人たちに関わる多くの人の時が止まってしまいました。
「戦え!」と言った人達はその人達を守ってくれたのでしょうか?
「国を守る」ことと、「国民を守る」ことは大きく違います。前者は国の利益を守ることです。後者は家族を、そして隣人を守ることです。
2年前、長崎の被爆者団体に記念式典の後、日本政府が核兵器禁止条約に批准(条約に対する国家の最終的な確認、確定的な同意)しない方針を示してることに憤りを感じて安部総理に
「あなたはどこの国の総理なんですか?」
と伝えてもその方針を変えていません。僕達の国は広島、長崎の人の時を止めてしまった原爆を「持ちたい」と思ってるってことです。
被曝から時間が経って、あの悲惨な出来事が過去のものになり、直接痛みを知る人が少なくなってる今、そしてこれからは人の持つ「想像力」に頼るしかありません。
放射能と健康被害の関係性についてはまだ答えが出てません。
だけど、僕の母も父も被爆者で二人とも62際、68歳と早い時期に他界しています。どちらも癌です。
母と一緒に被曝した祖母に至っては42歳で癌で亡くなりました。
ちなにに母の家系は長生きで、癌家系でもありません。僕自身その二人のDNAを受け継いでいるので、いつ、どうなるかわからない不安があります。
その引き金を引いた「戦争」。現在の防衛手段は鉾(武器)に対する盾を持つことではなく、「抑止力」という名のもとに、より強い鉾を持とうとしています。
そのとき、大切な人の命を奪われた時。時間は戻るんでしょうか?
8月6日、9日はそのことをよ〜く考えるいいきっかけかもしれませんね。
黙祷