1967年に作られてから、何度も放映されている名作、ダスティン・ホフマンの「卒業」のワンシーンです。
幼なじみのエレーンのお母さんと関係を持った主人公ベンがエレーンとの愛に目覚めるというお話で、ラストシーンのエレーンの結婚式に乱入して花嫁を奪ってバスで逃げるシーンは当時話題を呼びました。
まだ、結婚に対して親の力が強かった時代に衝撃を与えたのでしょう。
当時の僕はまだ、愛だの恋だのなんてわからない年頃ですから、意地悪な大人から大好きな人を連れて逃げる主人公がかっこいいな〜程度の感想だったと思います。
そんな僕でも高校生くらいにまでなれば、ちょっとは愛だの恋だのがわかるようになりました。
中学3年生くらいからオシャレにも興味を持ち始め、アルバイトをしていたので、お金を貯めて好きな洋服屋靴を買ってました。
とは言え、周りの友達は親に買ってもらっていて、出どころが違うだけで同じかちょっといいのを買ってもらってるのが悔しくて、みんなが簡単に手を出せない「海外カタログ通販」(個人輸入)をしてました。
jack purcell(ジャックパーセル)は今では「ABCマート」やいろんなところで見かけるのでそれほど珍しくないスニーカーですが、当時はなかなか手に入らないスニーカーでした。
1935年に、バドミントンのワールドチャンピオン『ジャック・パーセル』が開発に関わり誕生したスニーカーで、元々は「スポルディング社」の製品で、靴底のグリップを良くするためにタイヤメーカーのB.Fグットリッチ(今はミシュランに統合)に開発させた靴です。
今では珍しくないインソールを交換できるタイプで、履くとふくらはぎにフィットして動きやすい。細かくステップするバトミントンには最適だったんでしょう。
1950年にスポルディング社との契約が切れてB.Fグットリッチ社が販売するようになり、1972年にB.Fグットリッチのシューズ部門は「コンバース」に買収され、以後、コンバースから発売されるようになりました。(ごめんね、興味ない人にはまったく響かない話で)
「コンバース」と言えば「オールスター」で、これは当時、日本に入ってきてたのですが、「ジャックパーセル」はあまり日本には入ってきて無くて一部の今で言うセレクトショップみたいなところで、売られてるくらいでした。
僕は広島の街を探しまわってジャックパーセルを手に入れました。
「ジェームス・ディーンも」
「ポール・ニューマンも」
高校2年生の時、隣のクラスの女の子を好きになりました。
小さくて、ソフトボール部だった彼女は真っ黒に日焼けしていて、笑うとキレイな白い歯が可愛く光るステキな女の子でした。
母親が働いてして、いつも学食だった僕に彼女は毎日、お弁当を作ってくれました。
彼女の誕生日の時に、なにかお礼もこめてプレゼントをあげたかったので、僕の好きなジャックパーセルの姉妹品「プロパーセル」をプレゼントしました。
プロパーセルは、バスケットボール様に作られた靴で、周りの赤のラインが可愛くて女の子らしいスニーカーです。
プロパーセルは、もう生産もしていないので、ビンテージで価値のある靴です。
当時でも、日本で特に広島ではお目にかかることは殆どなかったので、インターネットの無かった時代、アメリカのコンバースに手紙を書いてカタログを送ってもらって個人輸入で手に入れました。
彼女にプレゼントしたとき、ちょっと大きかったけど、とっても可愛くて、喜んでくれました。
「卒業したら・・・」とちょっと淡い夢も見てました。
80年以上前のデザインだけど、今でも十分オシャレに履けます。
「ガーリー風に」
「トラディショナルに合わせて」
「もちろん、リゾートにも」 ね、いいでしょ〜♡
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