子供の頃、街角に立っている制服を着た年上のお姉さんの持つ箱にお金を入れると「ありがとうございます♡」と言って「赤い羽根」を胸につけてくれた。
あのお金は結局、誰のために使われたんだろう?
1985年、今はなきマイケル・ジャクソンや大物アーティストが勢揃いして歌った「ウィー・アー・ザ・ワールド」を何度もウォークマンで聞いて、
「アフリカの子どもたちに・・」
と募金もしたけど、あの映像にでていた目の玉にハエがとまっていた子どもははたして救うことができたんだろうか?
今ではあたりまえだけど、夜中には「砂嵐」になるテレビが24時間やってて、なんか最後は芸能人が走って武道館で「昴」を歌いながら出迎えるあのテレビに、友達はペットボトルに詰め込んだ小銭を寄付したと胸を張っていた。
そのペットボトルで誰が救われたんだろう?
いろんな「募金」や「ボランティア」に僕たちはなにかしら触れてきた。
時には、買い物をしてもらったお釣りの中の一部の小銭を、
時には、ポケットからヨレヨレのお札を出して広げながら募金箱にねじ込み、
時には友人や仲間に声をかけてまとまったお金を送ってみたり
「なんかいいことをすると気持ちいがいい」
「困ってる人を見過ごすと、ちょっと後ろめたい気がするから、ちょっとなんかすることで気持ちが軽くなる」
「これは放っとけない!なんかしなくちゃ!」
「これに便乗して儲けてやれ~」
いろんな気持ちや思惑で「行動」するんだけど、時間が経つと忘れちゃう。
そもそも、あれはなんだったんだろう?
5年前、街中が暗くなった。
街灯が消えて、路地裏は真っ暗。
お店の看板も点けるのをためらった。
なのにパチンコ屋の電気は煌々と灯り、店内からはジャラジャラ♪と音がする。
「輪番停電」で電気を消された区域の区長さんがテレビで怒ってた。
電球はLEDに変えないとなんか「非国民」みたいな感じがした。
「原発なんざいらねえ!」
と叫んでいてもパソコンは使ってたし、テレビも見てたし、携帯も充電してた。
なにが本当で、なにがウソなのか、一小市民の自分にはわかるはずもなく、
「反対!」とか「賛成!」とか声を上げたところで、なにも変わらない現実を目の当たりにしてあきらめモード。
でも、やっぱり、「知る」必要がある。
「知る」ことは、誰もが平等に持っている「権利」であり、それが「武器」なんだ。
街角で
「かわいそうな◯△☓◇・・に愛の手を!」
と言ってお金を集めてるお兄さんたちが、後で集まって、そのお金でお酒を飲んでるとしたら、それを知らないといけない。
僕たちは知らなければいけない。
知らないと、いとも簡単に騙されてしまう。
騙されると、なにも信じられなくなる。
そうすると、本当に助けが必要な人に誰も手を差し伸べなくなる。
震災から5年。
僕たちは、もしかしたら、忘れてるかもしれない。
東日本だけじゃない、神戸だって、新潟だって、僕のふるさと広島の土砂崩れだって、
震災だけじゃない、虐待を受けた子どもたちだって、
全てに目を向けることは出来ないけど、「あの時」を忘れないことかもしれない。
現地に出向いて自腹で炊き出しをしたり、ボランティアをしたりしてる人には、ホント頭がさがる。
でも、その人なりに関わることは誰にでもできるから。
直接なにかが出来なくても、何かをしてる人を応援することだってできる。
「ノンシリコンシャンプー」もそうだがマスコミの情報に踊らされてはいけない。
わからなかったら、詳しい人の話を聞けばいい。
見方を変えれば真実はひとつではないかもしれない。
パソコンやテレビの前ではわからないことの方が多いかもしれない。
知らなくても髪の毛は切れるし、パーマもかけれる。
だけど、「人」に関わってる僕たちは、必ずどこかでつながってるからやはり知らずにはいられない。
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