いつものように家族と食事をして、ささやかながらも心に染み渡る幸せを噛み締めながら今度の休みにどこに行こうかと思いを馳せながら平穏な眠りについていた時に突然大きな地震が襲ってきて、家は崩れ外に出ると裏山が崩れあちこちで火事が起こっている。
さあどうする?
クイズ番組のようにシンキングタイムは1秒もない。
「横行結腸癌です。直ぐに手術します。」
16年前母が入院した病院で担当のお医者さんに言われた。
最初は何を言ってるのかわからなかった。
最初の「おうこう…」だけ聞いて最後の「癌」がよくわからなかった。
でも手術するってことは治療するわけだから「治るんだ」と思ったから「よろしくお願いします。」となんか「ポテトもいかがですか?」と聞かれたような感じであっさり答えた。
結局、母は胃を全摘出した。
これでもう大丈夫だと退院前に先生に呼ばれた時「ありがとうございました」と深々と頭を下げて席を立とうとすると呼び止められて、
「残されたお時間は半年くらいです。」
と言われた。
シンキングタイムにしては長いなと思ったら余命のことだった。
治療方法の話しになった。
その時初めて気がついた。僕には何の知識も知恵もないことを。
僕は先生に「少し時間が欲しい」と言った。
それから退院前までの数日間、僕は癌について調べまくった。
結論は調べれば「調べるほどわからなくなる。」でした。
様々な書物、様々な情報がこれがいい、あれがいいと言い、他の治療方法を否定します。
お医者さんが言った「後半年」と、いう時間。その過ごし方を選ばなくてはいけない。
「やり直し」や「お試し」はない。選んだことが全てになる。
自分の命ではなく大切な人の命の使い方をわずか数日で決めなければいけない。
いくら用心深い人でも自分に降りかかる災難に対して全てに用意は出来ません。
そしてその選択は災害のように突然やってきます。
癌でもそれぞれの臓器や器官で異なります。
結局、僕の母は「余命半年」だったところ、それから2年半元気で過ごしました。
ホントに元気でした。一緒に富士山にも登りました。富士急ハイランドのジェットコースターに年齢制限で乗れなかったときの悔しそうな顔は今でも忘れられません。今思えばグラビアアイドルのように、年齢をごまかしても良かったかなと思います。
息をひきとる三日前まで自分で自転車に乗って友達の家に遊びに行ってます。
そして、具合が悪いと自分でびに行って再び入院。
当日、先生に「もう帰れませんからね」と告げられ、その二日後の朝、普通に僕と
「退院したら食事気をつけようね」
と話し、僕は仕事に行き、その夕方に病院から危篤の電話をもらって駆けつけたときには昏睡状態で、翌日、朝日が差し込む病室で息を引き取りました。
僕の選んだ治療法はあえてお伝えしませんが、残念ながら助けることは出来ませんでしたが、母は死ぬまで元気で明日のことを考えながら生きました。
今朝はお隣のパティシエ、鎧塚さんの奥さま、川島なお美さんの告別式に行ってきました。
なお美さんらしい可愛くキレイに飾られた祭壇でした。
多くの参列者、一人一人に頭を下げるトシさん。
焼香が終わり、トシさんの前に歩み寄ると、トシさんから手を差し伸べてくれて、僕の手を握り
「がんばります。」
と、言われたとき、溢れる涙を止めることができませんでした。
世間では、なお美さんの治療方法をとやかく言う人がいますが、それは死者への冒とくだと思います。
なお美さんと、トシさんが選んだ生き方に家族以外が、口を挟むことは出来ないと思います。
亡くなる数日前まで舞台に立ち、息をひきとるまでトシさんのことを、明日のことを考えていたなお美さんは文字通り「死ぬまで生きた」のではないでしょうか。
こんな素敵な人に片隅でも関われたことを僕は幸せに思います。
なお美さん、安らかにお眠りください。
トシさん、立派でしたよ。
普段泣かない僕が泣いた分、もうちょっと忙しくしててくださいね。
#恵比寿 #美容院 #美容室 #ヘアーハナ
#中西トモミチ