僕が子供の頃、「がんばれ元気」という漫画が流行りました。
主人公の「堀口元気」くんはボクサーだった父親の跡を次いでボクサーになります。子供の頃、小さい自分の体格差を補うために深く沈み込んで体を伸ばして下から相手を打つという「アッパーストレート」というパンチを編み出しました。
その練習はゴミ箱相手にしていて、僕も近所のゴミ箱を何度ふっ飛ばして、怒られたことか。
「リングにかけろ」では主人公の「高嶺竜児」くんは飲んだくれで暴力をふるう父親から姉と二人で逃げて上京してきボクシングジムのお世話になって世界チャンピオンを目指すというお話。
その中で、主人公が必殺技を編み出すために使った道具が鉛を腕に巻いて重くして鍛える「パワーリスト」というグッズ。早速アルバイトして買いました。
「巨人の星」の主人公が投げたボールを相手のバットに当てる「大リーグボール1号」も友だちと練習しました。
昔のヒーローは必ず血の滲むような「努力」をしました。
それが修行だったり、練習だったり、様々ですが、ライバルや敵に負けると、必ず努力して必殺技を編み出して打ち勝ってました。
ところが、最近のヒーローはちょっと違うみたいです。
強い敵やライバルに負けるとこまでは一緒なんですが、その後、努力をしません。
大抵が、「博士や仙人が新しい武器を与えてくれる」、「なんかの実とかを食べる」、「勝手に進化する」、「新たな仲間が増える」、「いつの間にか強い敵が味方になっちゃった」とかのパターンで、本人の努力無しで強さを得られます。
これじゃあ見てる方も「努力」のしようがありません。せいぜい、ベルトや武器をお母さんに勝ってもらって「なりきり」を楽しむくらいです。
なので子どもにとって「力」とは「与えられたものが全て」だったりします。
「努力」した者は身体や技も鍛えられますが、同時に「精神」も鍛えられます。それは「経験」をしてるからです。
その力や技を得るまでの過程や物語を話すことが出来ます。与えられた力だと話せるのは「使用感」だけです。
そして子どもを始め多くの人に「夢」を与えてくれます。
「自分も努力したらああなれんじゃねえか?」
と、毎日走ったり、バット振ったり、うさぎ跳びしたり、ご飯を残さず食べたり、勉強したり、それぞれのヒーローが辿ってきた道を追いかけます。
「この武器を神様(親)にもらってから、もう、負け知らずで〜す!」
と言われても、親に
「そんなもの必要ないでしょ!」
と言われた時点で速攻、夢がぶち壊れます。よしんば、神様を探したところで、時間が過ぎて今度は自分が「必要ないでしょ!」と言う立場になってたりします。
先日、サッカーの日本代表がワールドカップから帰国しました。
みんな心痛な面持ちでした。
「世界にはまだまだ通用しない」
とテレビは残念な報道をしますが、昔ならアジア予選を突破しただけでもヒーローですから。
僕は彼らがさらに努力して必殺技を編み出して、4年後に決勝に行ってくれると信じています。だって心痛な面持ちでも、彼らのひとりひとりの目は死んでいなかったからです。
「与えられた」武器や力は、それを上回る武器や力の前には屈することしかできません。
「努力の仕方」を知らないと「逆転」もありません。親や神様にお願いするしかないのです。
僕たち大人は子どもたちに「武器」や「力」を 与えるのではなく、「夢」を与えてあげるべきなのではないでしょうか?
あの「天才」と呼ばれるイチローだって「3割打者」ということは「7割」は負けてるわけですから。
このミラクルスローも「努力」無しでは成し得ない技ですね。