毎年Christmas恒例の小田和正さんの「クリスマスの約束」に吉田拓郎が出ていた。
「さん付け」をしないのは、僕にとって吉田拓郎は「たくろう」であり、「さん」を付けるのは「さかなクン」を「さかなクンさん」と呼ぶくらい気持ちが悪い。
中学2年の夏。
僕は大人になりたかった。
母子家庭という経済的理由が大きく影響していたのだろうが、当時の僕はアルバイトもしていて自分で使えるお金はそれなりに持っていて、欲しいものは自分の給料で買っていた。
小遣いはアルバイトを始めた小学4年生のころからもらっていない。
その分、周りが子供に見えてしょうがなかった。
それでも学校に通い、部活をしながら働くのには限界があった。
だから、早く大人になって思いっきり働きたかった。
朝から晩まで、寝てる時だって働きたかった。
だから、この歳になっても仕事は大好きで、嫌だと思ったことは一度もない(多分)
周りのみんなが、キャンディーズやピンクレディーなどの「歌謡曲」にはまっていて、机の上でUFOを踊ってみたり、「オレは蘭ちゃん、オレはスーちゃん!」と熱く語っていた。
もちろん、僕も今でもUFOは踊れる。
それでも、どうにかそこから飛び出したかった。
だからといってすぐに大人になることも出来ない。
卒業することだって出来ない。
タバコも吸ってみた。
酒も飲んで死ぬほど吐いた。
トマトジュースだって鼻をつまんで飲んだ。
コーヒーだって眉間にしわを寄せながらブラックで飲んだ。
そして歌謡曲を卒業して「フォークソング」を聴いた。
初めて買ったレコードが「たくろう」の「元気です」だった。
1972年の夏だった
春だったね/せんこう花火/加川良の手紙/親切/夏休み/馬/たどり着いたらいつも雨降り/高円寺/こっちを向いてくれ/まにあうかもしれない/リンゴ/また会おう/旅の宿 (アルバムヴァージョン)/祭りのあと/ガラスの言葉
レコードプレーヤーに乗せて針を落とす。
「パラッパッパパラぱぁ〜〜〜♪」
とオーケストラのバックで始まる歌謡曲と違い、ギターのストロークから始まる。
自分の心をかきむしられる衝撃だった。
「僕をぉ〜忘れたころにぃ〜♪君を忘れぇ〜られなぁ〜いぃ〜♪・・・」
たくろうの独特の声が耳の中に飛び込んでくる。
まるで煙突掃除のワイヤーブラシを耳の中に突っ込んでゴシゴシと甘い歌謡曲がこびりついた鼓膜を掻き出されているようだった。
『浴衣の君はすすきのかんざし 熱燗徳利の首つまんで もういっぱいいかがなんて 妙に色っぽいね」(旅の宿)
中学生に想像も着くわけもない歌詞なんだけど、頭のなかに行ったこともない雪に包まれる北の国の温泉宿の景色を想像する。
たくろうの曲はタバコよりも酒よりも僕を大人の世界に誘ってくれた。
友達にすすめても
「ようわからんね〜」
と言われ、それが少し嬉しかった。
たくろうが僕を少し大人にしてくれた。
そして僕も大人になった。
たくろうも病気したり、プライベートでいろいろあるけど、僕にとって、たくろうは歌ってる時がたくろう。
こうして1年ぶりに小田和正と歌っているたくろうは少しだけど優しい顔になっていた。
それでも、歌を歌い出すとやはり、たくろうだった。
僕も「なりたかった」大人になることが出来た。
それでも『まだまだだな』と思い知らされる毎日。
今はまだ人生を語らず