よく、子供の頃に歌っていた歌の中で、「歌詞の意味が分からず歌っていた歌」ってありませんか?
【ドヴォルザーク 交響曲第9番新世界第2楽章(家路)'】
僕はクラッシックの中でドヴォルザークの曲が好きです。
子どもの頃、初めて聞いた「新世界から」は出だしからガツン!ときて引き込まれました。
友人のブラームスが絶賛するのも解る気がします。
ドヴォルザークの曲の良さはまさに「旋律」にあります。
その緻密な構成は感性だけでなく細かく計算されたものなんでしょうね。
「新世界より」の第2楽章の「家路」に歌詞を載せた「遠き山に日は落ちて」という歌があります。
子供の頃に歌わされました。
遠き山に 日は落ちて
星は空を ちりばめぬ
きょうのわざを なし終えて
心軽く 安らえば
風は涼し この夕べ
いざや 楽しき まどいせん
まどいせん
「まどいせん」ってなんだっけ?
子供の頃はなんの疑問も抱かず歌ってました。
よく、小学校の朝礼とかで校庭に全生徒を並べて校長先生が「ありがたいお話し」をして、ノッてきたらかな〜り長くなって真夏の炎天下の中、友達が日射病(昔は熱中症って言わなかった)でバタバタ倒れていき、朝のトイレを忘れてきた日はウンコもらしそうでたまらなかった思い出があります。
大人がいくら「いい言葉」や「いい話し」をしても、子どもの読解力がそこに達してないとまさに「馬の耳に念仏」。
ちゃんと言葉の意味を説明して欲しかったな〜。
で、本題の「まどいせん」ですが、
まどい:(団居・円居)
人々がまるく居並ぶこと。車座になること。
一か所に集まり会すること。特に親しい者どうしが集まって楽しむこと。団欒(だんらん)。
とあります。
なのでこの曲を今風に言い直すと
「遠くの山に太陽が沈み
星が空に散りばめられた
今日一日の仕事をし終えて
心も軽くホッとすると
風が涼しいこの夕方よ
さあ、楽しい家族団らんを
しようじゃないか」
となります。
夕暮れ時に「家路」に着くときに口ずさむ情景が沸いてきませんか?
でも、残念ながら、残業やつき合いで、「夕方」に帰宅できる社会人はそうそういませんね。
子どもだって学校が終わったら習い事や塾で忙しいから「一家団欒」なんて、「日は落ちて」どころか「どっぷり落ちて」で、楽しむどころか、晩ご飯をバラバラに食べてすぐお休みなさいになってしまいます。悲しいですね。
まあ、たまに早く帰れる日や休みの日、みんなで出かけて帰るときにでも口ずさんでみてはどうでしょうか?
これからちょうどいい季節になりますから。
ドヴォルザークの「新世界より」は、チェコからアメリカに渡ったドヴォルザークが新天地のアメリカを表して作った曲ではなく、故郷のボヘミアを想って作った曲であるように、広島から出てきた僕はもう家は無いけれど、時々故郷を忘れないように思い出そうと思いました。
ドヴォルザークと言えばシンフォニー(交響曲)ですが、僕はあまりメジャーじゃありませんがコンチェルト「協奏曲)も好きです。
この曲はドヴォルザークの曲では珍しく、ヴァイオリンコンチェルトは僕はこれしか知りませんが、いい曲ですよ。
昨日の雨も上がって、今日は気持ちのいい天気になりました。
午前中は家でちょっとのんびり珈琲でも煎れてゆっくりしようと思います。
では、みなさん、良い一日を過ごして「家路」にお戻り下さいね。
【Dvorak-Violin Concerto in a minor op. 53 (Complete)】