オモチャだったり、ゲームだったり、お人形だったり、シールだったり、変身セットだったり、
子供が欲しがるものは、今も昔もいっぱいある。
愛情だったり、心配だったり、お金だったり、進路だったり、期待だったり、
大人が子供にかけたいものも、今も昔もいっぱいある。
でも、「どれかひとつ」と言えば、大人、子供、関係無く「信頼」なのかもしれない。
「信頼」は過去でもなく、今でもなく、「未来」に対してあるもので、
「今まで」ダメでも、「今」ダメでも、「これから」良くなる、「いつか」よくなると信じることで、
それは祈りにも近い「根拠のない希望」なのだが、
かつて、今、崩壊しつつある国の神話の中で、「パンドラの箱」から無数の憎しみや、悲しみ、怒り、そして嫉妬と人間のあらゆる感情が羽虫となり飛び立った後に、ひとつだけ残ったという「希望」と言う名の宝物。
それこそが、大人が子供に与えられるなによりも大切なものだと僕は思います。
それは、すぐには答えが出てこないかもしれません。
もしかしたら、大人がいなくなってからかもしれません。
時にはしびれを切らしてしまうときもあるかもしれません。
でも確実に、ゲームやお人形や洋服やオモチャより、お金や進路や心配や期待よりも
子供にとって「糧」になると思います。
それだけ子供にはパワーと可能性があると思うのです。
つまらない大人の価値観の枠の中に押し込むよりも、ずっとずっと大きく羽ばたけると僕は信じています。
差し当たって、僕たち大人が出来ることは「福島の子供達」を少しでも安全なところに避難させることではないでしょうか?
物理学者抜きの「冷温停止」、数値を引き上げておいての「基準値を下回った放射線量」という政府の愚策。
まるで僕たち消費者が間違っているかのようにテレビは「風評被害」を訴えています。
そして政治家達は安全な場所で出来レースのPTTの議論に時間を費やしています。
「信頼」や「希望」も「明日」があるからこそのもの。
子供達の「明日」を奪わない為に。
子供達の明日を「信頼」する為に。
僕たち大人は「今」をちゃんと積み上げたいですね。
「福島の子供達を救おう」
http://www.avaaz.org/jp/save_the_fukushima_children_1/?pagelink