空を自由に飛んでいる鳥を見ると
「あ〜自由でいいな〜、オレも飛びてぇ〜〜なぁ〜〜」
と羨ましく思うことがあります。
空を飛べない生き物には障害がたくさんあります。
壁にぶつかり、川に沮まれ、移動に時間がかかります。
「日常のしがらみや規則、そして責任の鎖を引きちぎり自由を求めて大空に飛び立ちたい!」
なんて思いますが、鳥は鳥で大変だったりします。
「天候のいい日ばかりではない」ってこと。
"澄み渡る青空"の日なんてむしろ少ない方で、
皆さんもご存じの通り、1年通して"気持ちいい気候の日"なんてほんのわずか。
今日みたいに照りつける太陽だと、空は"隠れる場所"はありません。
時には雨、そして雷と踏んだり蹴ったりの空だったりします。
冬は寒風吹きすさぶ中、オマケに雪とか雹とか降ってきたりして。
さらに疲れて羽ばたくことを止めたら"落ちる"ってこと。
自由でいる為には羽ばたきつつけなければいけません。
疲れたとか、辛いと言ってやめると当然落ちます。
落ちたら大変です。ケガをします。死んじゃったりもします。
そして、飛んでるときは"孤独"ってこと。
群れて飛んでいても飛ぶのは己の力のみ。
誰も自分を背負って飛んでくれません。
そう"自由"には"リスク"がつきものってこと。
自由を求めるにはそれなりの"覚悟"が必要になります。
今までは、国が、自治体が、地域が、会社が、世の中が"守ってくれて"ましたが、
震災以降、政治家や官僚は露骨に自分の利益の確保に走ってメディアは本当のことを教えてくれません。
実は、本当は今までもそうだったんだと思います。
でも、テレビを信じて政治に期待して、会社に求めて
「なんとかしてくれる」
と漠然とした根拠のない安心がありました。
そして、政治や行政はあてにならない、会社は自分の人生を守ってくれない。
あからさまに突きつけられた現実を直視してひとりひとりが自分の羽を広げて飛び立つ時がきたのかもしれません。
自分の目で見て方向を決めて、自分の耳で聞いて風向きを知り、自分の翼で大きく羽ばたく。
力尽きて落ちても、また力を付けて飛び立つ。
何度でも飛び立つ。
枠の中で与えられた自由(Freedom)から、自分で選んで自分でつかみ取る自由(Liberty)に還らざるを得ない今だから、早いとこ飛び立つ準備をしなければ。
そして、どうせ自己責任で飛ぶんだから我が儘に好きなように飛ばなきゃね。
「もし、わたしの願い事が、叶うならば翼が欲しいぃ〜♪」
"翼をください"
じゃなくて、翼は初めからみんなの背中に付いていて後は広げて飛び立つだけかも知れませんね。