最近、やたら経済アナリストの類の人が「自粛をするな」とか「花見をやめるのやめろ」とか言っている。
「そうやって、みんながお金を使わないと経済が回らない、お金も集まらない、被災者支援にならない、自分の仕事もなくなる。」
という論理だが、ご無理ごもっともである。
これが個々の問題ならばそうかもしれない。
いつも買う物をあえて、被災地産のものを買うようにしたり、
お気に入りのレストランに閑古鳥が鳴いていたら行くようにするとか。
水やカップラーメンを買い込んで家の中に籠城するよりはるかに健康的で正しいと思う。
しかし、「楽しむ」ことは強制されてするものではない。
特に集団で行動する「お花見」などは、社員や仲間の中に被災地出身の人がいたりすると、とてもじゃないが、桜の下で
「かんぱぁ〜〜い!」
と言うわけにはいかない。
ただ、心配だけしても始まらないし、身体にも良くない。
例年のよくある花見風景のようにカラオケの機械を持ち込んでベロベロになるまでどんちゃん騒ぎとかではなく、この季節にしか咲かないキレイな桜を見ながら、癒されることもできるはずです。
むしろ、その方が本来の花見なのかも知れない。
もし、経済の専門家の人が消費を促したいのなら、
「買え」、「使え」、「飲め」、「食え」と言うのではなく、
「ここの桜が今、見ごろですよ。」
「ここの料理はとっても美味しいですよ。」
「季節も変わったことだし、ちょっと明るめのシャツでも着てみましょう。」
「僕はここで、ご飯を食べて、ここで洋服を買って、ここで飲んで、ここで桜を見ました。」
の方がいいと思います。
昨日の「日本代表vsJリーグ選抜」の試合で三浦知良さんがゴールを決めたとき「カズダンス」をしました。
すごい盛り上がりでした。
その後の記者会見でカズさんが
「こんな時にどうだか迷ったんですが、やりました。」
と、言った言葉に大きな優しさを感じた人も多かったんじゃないでしょうか。
それを見た被災地の人がどう感じたかは解りませんが、
少なくとも、支援している人だけでも元気になった様な気がします。
先週とは違い、昨日は街には人も多くみんな普段と変わらない生活をしています。
今、節電で、個々の生活に工夫や変化が生じています。
不便は感じますが、それぞれが「みんなのために」とっている行動に胸を張ることが出来ます。
「いつも通り」を強いるより、その時に合わせた楽しみ方を工夫することが、結果として、いい方向に向かうように僕は思います。
いつもはブルーシートに辺りから立ちこめる酒とゴミの匂いと、大声を張り上げる花見の場所はとても子供連れで行ける場所ではありません。
少し自粛して桜の花を愛でるくらいが丁度いいと思いませんか?
(写真は去年の目黒川の桜です。ミヨちゃんはよく食べてました。)