68年前、広島に落ちた原子爆弾は多くの人の命を奪いました。
当時、広島には今後100年花はおろか、草木すら育たないと言われていました。
多くの人が絶望し、夢などありませんでした。
しかしその5年後に市民の力でプロ野球球団の広島カープが生まれました。
その後、草木は育ち花も咲き、1975年に2年前のカープ優勝のパレードの盛り上がりを引き継ぎ「広島フラワーフェスティバル」が開催されました。
当時、小学生だった僕は、「無料お汁粉配付」に何度も並び、大人気だった「
アグネスラム」ちゃんを親の目を盗んで観に行きました。
原爆が落ちた当初は、あの焦土と化した街がここまで成長し、平和の街として愛されることなどこれっぽっちも思わなかったでしょう。
戦後、広島の人を困らせたことがあります。
それは「被爆」です。
当時、被爆は恐ろしい「病気」と思われ、被爆した人の側にいると「病気が移る」と言われていました。
もちろんそれは、全くの嘘で、いわゆる風評被害でした。
原爆投下のころ、爆心地から10km以内にいた人、投下後立ち入った人には「被爆者手帳」が配付されました。
それを持っていると、医療費が免除されます。
しかし、当時は被爆者は就職も出来ず、女性は結婚も出来ませんでした。
なので、多くの人が病気に苦しみながらも申請をしていませんでした。
実は、僕の母もそうです。
(後年、広島の親友のおかげで母は被爆者手帳を取ることが出来ました)
当時は被害者を始め国民に被爆に対する知識が無かったため起こったいわゆる「人災」です。
今、また同じことが起きようとしています。
福島原発から漏れる放射線により、農作物から微量の放射線が検出され、福島はおろか、茨城、群馬、栃木などの葉物の出荷制限が発表されました。
「怖い」と思うのはしょうがないと思います。
人は自分の理解できない恐怖に怯えます。
それが、情報も知識もない68年前ならわかります。
しかし、これだけ、情報も増え、調べれば誰でも解りちゃんと判断出来るのに、「怖い」だけで、行動を起こす人が沢山います。
先日、あるアイドルが「非難覚悟で・・」と自身のブログでその怖さのことを正直に書いていました。
それはそれで、自分自身の正直な気持ちを書いているので、嘘ではないと思います。
そこには放射能に対するロジックは無く、自分の身近なモノに例え、彼女なりに考えられる範囲で「怖い」と言っています。
むしろ、そのブログを読んで多くの大人が
「私もそう思う!」
「よく言ってくれました!スッキリしました!」
という書き込みを見たときゾッとしました。
そう思うなら、自分の顔と名前を出して地震のブログやツイッターでそう言えばいいのに。
ミヨちゃんの実家、福島のご両親がこんな話をされていました。
福島を避難したお客さんが帰ってきたそうです。
その方が言うのには、他県の旅館に家族と行ってしばらく宿を貸してくれと頼んで宿帳に住所を記入すると、
「申し訳ないけど、他のお客様が怖がられるのでお風呂はお貸しできません」
と言われて戻ってきたそうだ。
なんともやるせない話だが、人の心理はそういうものである。
「怖い」と思うのは人の感情なのでそれを止めることはできません。
しかし、「行動」は一度、その「怖い」を頭に送って、考えて処理して出来てくるものですから、変えることが出来ます。
今、目の間にある「得体の知れない恐怖」に負けずに、未来のために行動しましょうよ。
被爆者手帳を持った母から生まれて育った僕は、40年過ぎた今でも、大きな病気は一度もせず、(やんちゃだったので、骨折は何度もしましたけど)誰よりも健康で、元気に生きてますよ。