日曜の朝、いつもの様に仕事をしていると広島の従兄弟(いとこ)からLINEのメッセージが届いた。
「電話しようとしましたが、つながらなかったのでlineでご免なさい。
本日夜長1時頃、中西正己がその生涯を終えて天国に旅立ちました。
お通夜は本日18時から、葬儀は明日12時からいずれも・・」
というものでした。
午後の予約は止めてもらい、入ってた予約のお客様には連絡して日をずれてもらって日曜日と月曜日をフリーにしてもらいました。
ご迷惑をかけたみなさん、本当にごめんなさい。そして、ありがとうございます。
叔父は僕の母の兄で享年93歳でした。大往生です。
母とは年の離れた兄妹で僕が5歳の時離婚した母と一緒に実家に住んで、その隣の住んでいた叔父は僕の父親代わりで、昔の父親の役割と言えば「怒る」のが仕事で、例外なく僕もよく叔父に怒られました。
カメラが大好きで暇さえあれば車で出かけて写真を撮り、写真展で入賞したりしていました。なので叔父の部屋には写真機材がいっぱいあって、それが僕は大好きでした。
大人になって僕が上京し、顔を合わせることも僅かな回数でしたが、広島に行った時は必ずお墓参りとセットで叔父の家に顔を出しました。
年をとってからの叔父との会話は主に写真のことと戦争のこと。叔父は戦地で生き残ったものの捕虜となり、戦後すぐには帰還できず所謂「シベリア抑留」というやつで、その過酷な体験と他の戦地での話が始まるとゆうに1~2時間では収まりませんでした(笑)
「人を殺す」というのは今では非日常です。それが戦争だとまるでゲームのように銃を撃ち敵を殺さないと自分が殺されます。もちろん、コンティニューはありません。
数分前まで笑って話していた仲間が銃撃が始まって、ふと見ると頭に被弾して死んでたりする。そんな現実を経験している人の話はまるで作り話のようであり、ドラマや映画よりエッジが効いていてBGMも無く、人の命が消えるのがまるでテレビの電源を切るかのように簡単に消えていく。
そんな話をまるで昨日のように話してくれた叔父。そこにはあの怖かった叔父はもういなくて優しい「おじちゃん」だった。
人の一生というのはこれほど変わるもので、そのほとんどが予想できない。なので、今この時を大切に生きなきゃとおじちゃんに教わった。
叔父からもらったカメラのレンズ。昔のフィルムカメラ用で、最近のデジカメで使うのは使いづらいが引っ張りだして使ってみよう。
おじちゃんがレンズを通して観た風景が僕にも見えるだろうか。
#恵比寿 #美容室 #ヘアーハナ