僕がまだ中学生の頃、クラスの女の子が夏休みに「グアム」に行きました。
もちろん、僕は海外どころか飛行機も乗ったことがありませんでした。
クラスのみんなもほぼほぼ同じで
「え~のぉ~~、ガムかぁ~。ええのぉ~~。」
と僕はずっと「グアム島」のことを「ガム島」だと思っていました。
なので「ハワイ」は知ってましたが僕にとっては「宇宙」みたいなとこで、「死ぬまで行くことはないだろう」って思ってました。
ちなみに、僕の母は一度も海外に行かずにこの世を去りました。こんなことなら、病気になる前に一度どこかに連れて行ってやれば良かったと口惜しい気持ちでいっぱいです。
今は、海外が身近な場所になり、時間さえあればお小遣いをやりくりして、なんとか行ける場所になりました。
また、インターネットのおかげで、世界中の情報がリアルタイムに入ってきて、地球の裏側で起こってることも個人でわかるようになりました。
グローバル化が進んで世界で活躍する人も多く、お客さんの中には「スペースデブリ(宇宙ゴミ)」の除去のプロジェクトを立ち上げ、世界どころか宇宙に進出された人もいます。
それぞれの人の持っている『世界」は様々で、ジャーナリストのように世界中を駆け巡ってる人もいれば、僕のように地域の人を相手に仕事をしている人もいます。
子育てに追われる主婦の人は、家族や、ママ友やご近所のように限られたコミュニティの中で暮らしていたりします。
それぞれが、自分の世界の中で精一杯生きています。
今回、熊本の大地震で、多くの人が犠牲になり、まだ「復興」よりも「救助」の段階で、困っている人がたくさんいます。
テレビでは熊本出身の芸能人やスポーツ選手が立ち上がり、様々な活動をしていることを取り上げています。
現地に炊き出しに行ったりボランティアをする人も多く、多額な寄付や、支援をされる企業や個人の人もいて頭が下がります。
僕なんか、店を休んでボランティアに参加するほどの余裕も無く、だからと言って雀の涙程度の寄付や支援くらいしか出来なかったりします。
「グローバル」に活躍する人から見ると、何も行動を起こしていない人は「薄情」に映るかもしれません。
もし、その人の身内や大切な人が熊本にいて、困っていたら、誰よりも先に心配して、出来ることをやるでしょう。
ただ、「関わり」が無いと、なかなか想像できないわけですよ。
極端に言うと、同じ次期に地震で10倍の死者を出している「エクアドル」の被災者のことを思うにも、あまりに自分の世界とかけ離れていると想像どころか、空想に近い感じで現実味を感じなかったりします。
会ったこともなく、話したこともない人のことを心配することは難しい。
行ったことのない地域の心配をするのも難しい。
先日、千葉で保育所を建設するのに、通行の妨げになるとか、子供の声がうるさいというお年寄りを「ひどい」と批判する声が上がったが、定年を迎え隠居生活のお年寄りの世界はとても狭い。
共に年老いた奥さんと二人暮らしで残りの人生を今まで支えてくれた奥さんの健康と幸せを守ることに捧げることを心に決めた。
そこに保育園が出来て、送り迎えの車が狭い家の前の道を占拠する。朝、ゴミ出しに出た奥さんが心配でしょうがない。読書が好きな奥さんが毎日聞こえてくる子どもの声に嫌な思いをするんじゃないか。人のいい奥さんはきっと「我慢」をするだろう。でも、そんなの嫌だ!
そう考えることはいけないんだろうか?
「人でなし!」
「おまえだって子供の頃、騒いだろう!」
とまで言われないといけないんだろうか?
「世界を広げる」ことは、実はそんなに難しいことではないと僕は思う。
関わればいい。
電車で子連れで大変そうなお母さんがいたら、席を譲ればいい。
お店で子どもが泣き出して困っていたら「大丈夫ですよ」と優しく声をかけてあげればいい。
被災地に行けなくても、寄付ができなくても、日々、消費する食べ物をその地のものを選べばいい。
熊本産の
野菜や果物なら、夏蜜柑、温州みかん、メロン、スイカ。
魚介類なら、フグ、アンコウ、伊勢海老、アワビ、サザエ、ウニ
肉類なら、馬刺し、天草黒毛和牛
郷土料理なら、辛子レンコン、南関そうめん
お酒だって焼酎だって、お菓子だってある。
スイカは傷が入ると値段が半分になるけど、味は関係ないから、値切らずに買う。
チョコレートを食べるときはエクアドル産のチョコを食べるといい。
(Hanaのお隣のToshi Yoroizukaのチョコはエクアドル産)
その先に作った人たちの笑顔が想像できるよね。
そして、ちょっとだけ、世界が広がる。
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