お客様で今年85歳になる、おばあちゃんがいます。
その方は出身は島根で、結婚して大阪で生活され、晩年、息子さんが住む東京恵比寿にご主人といらっしゃいます。
とてもオシャレな方で、いつもステキなファッションとアクセサリーを身につけてお話もシャキシャキされて、若い人に負けないくらいパワフルな方です。
ご主人は大阪で大きな会社をやっていて、引退し、会社を売却されてお金に困ることもなく、二人の息子さんも二人とも事業を成功させ、家族仲も良く、お孫さんもいて「悠々自適」な生活を送られています。
アベノミクスで極々一部の人達の生活は良くなったのかもしれませんが、「庶民」と呼ばれる人たちの生活は相変わらず苦しく、オリンピックで盛り上がってると言っているのもメディアと不動産関係の人だけで、多くの人が先行き不透明な状態に不安を抱えています。
そんな人から見ればおばあちゃんはとても「羨ましい」と思います。
「幸せそうな人」を見ると「羨ましく」なります。
幸せな人ですら、「自分より幸せな人」を見ると羨ましくなります。
FacebookなどのSNSを見るとみんな幸せそうです。
それを見せつけられるのが嫌でやめた人もいます。
「持たざる者」が「持つ者」を羨むのは世の道理なのかもしれません。
でも、羨ましく映るのは、実は「ほんの一部」のことで、実は後ろの見えないところに大きな悲しみや苦しみ、そして痛みが存在するものです。
「高級外車を買いました!」
と羨ましい報告をする人は、その車を買うためにそれだけの努力と仕事をしているはずです。もし、親に買ってもらったとしても、その人の親がそれだけの苦労をしています。
「子どもが生まれました!」
と幸せそうな家族も、これから自分が死ぬまで親という責任から逃れることは出来ません。自分のことより優先しなければいけないことが多々有ります。
「結婚しました!」
も結婚することが幸せなのではなく、それからの苦労があって時々幸せを感じるのです。相手を間違えると、幸せから程遠いところに飛ばされることもあります。
「あいつは親が社長で将来を約束されてる」
としても、その人が親の仕事以外に興味を持ちなりたかったとしても、跡を継がなくてはいけないという未来の選択肢が無かったりします。
「人を羨む」ということは、その人の幸せ以外の部分全てを自分が受け止める覚悟が必要です。
さらに、その人は「幸せになれるから頑張った」のではなく「頑張ってたら幸せになった」だけで、もしかしたら、頑張っても実らないこともあります。
でも、頑張らないより頑張ったほうがはるかに幸せに近づけるのは世の先輩方が身を持って証明してくれています。
前述のおばあちゃんも「今」だけを見ると悠々自適で羨ましいですが。戦時中、家族と中国に渡っていて日本が戦争に負けたとき、まだ中国にいて、引き上げるとき、本当に命からがらだったそうです。
置き去りにされた子どももたくさんいたそうです。
運良く舟に乗ることが出来ても、船内でレイプや強盗があったりして、女性だと襲われるので、若い女人は頭を坊主ににして男性を装っていたそうです。
船内で空腹や病気で亡くなる人もたくさんいて、夜になると甲板から死体を海に放り込むそうで、夜中中「ドボーン!ドボーン!」という音に相当怖い思いをされたそうです。
無事、日本の港に着くと、憲兵が現れて、持っている金品や価値のあるものを全て没収されたそうです。
無一文、着の身着のまま、あるのは命と身体だけ。必死で実家のある島根県に帰られたそうです。
「羨ましい」と思う人がそれと引き換えに同じ思いを出来るかというと無理だと思います。
「人を羨む」という行為は僕はそれほど悪いことではないと思います。
そこに「なりたい自分」を目標と設定して努力し頑張る糧になるからです。
ただ、それが「嫉妬」や「妬み」になると悪い感情に支配されます。
大切なのは、諦めないことと、努力を怠らないこと。そして苦労を買って出ること。
もし、行き止まりだっても、引き返してまたやり直せばいい。
おばあちゃんはこう言いました。
「戦争もなくて、美味しいものがお腹いっぱい食べられる今の若い人は羨ましいわ」
と。#恵比寿 #美容室 #美容院 #ヘアーハナ
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