「淋しい」と思うのは、誰かが側にいてくれた記憶があるからかも知れません。
僕が5歳の時、両親は離婚をして、僕は母と暮らしました。
大きくなって、自分の話をするとよく
「淋しかったでしょ〜?」
と聞かれます。
その都度、僕は「?????・・・」になります。
強がってるわけでもなんでもありません。僕には父親との思い出が無いからです。
ひとつだけ、覚えているのは、僕がお気に入りのオモチャを父に壊され、思いっきり泣いたことくらいです。
元々「いない」ものを「淋しい」とは思いません。
一人っ子だったので、兄弟もいませんでしたが「淋しい」と思ったことはありません。
両親、兄弟、祖父母、全て揃っている人はわかりづらいと思うので、例えて言うと、
そこに「出戻り」の父親の妹(叔母さん)が一緒に住んでた人に
「叔母さん、いなくて淋しかったでしょ〜?」
と言われるのとほぼ同じです。
でも、「いたらどうだったのかな?」とは思います。
母が経済的に苦労していたときに
「父親がいてくれたらな〜(出来れば医者かなんかの)」
と思ったことや、母が癌になったときに
「兄弟がいてくれたらな〜(相談できるのに)」
と思いました。
でもそれは「淋しい」とはちょっと違います。
嫌いな人と一緒だと「ひとり」になりたくなります。
毎日、ケンカばかりしたり、意地悪されたり、いいことが何一つ無かったら、「ひとりの方がいい」と思います。
逆に、好きで好きでしょうがなくて、いつも一緒にいたい人ができたら、
デートで
「じゃあ、また、明日♡」
と言った後数分後の電車の中で淋しさを感じるんでしょうね。
人生の中で、何度か「押しつぶされそうな孤独」を感じたことがあります。
それは、ひとり部屋の中で膝を抱えている時よりも、むしろ、渋谷の駅前の交差点の無数の人の中で感じたりします。
それは、これだけ人がいても、誰一人、自分と関わっている人がいない淋しさなのかも知れません。
僕がこうして、淋しさから少し離れたところにいられるのも、訪れてくれるみなさんのおかげなんでしょう。
だから、自分の時間が許す限り、誰かの側にいてあげようと思います。
迷惑がられても・・・・(笑)