最近「子どもネタ」が多いのですが、もうひとつだけ。
先日、遊びに来た小学生の女の子二人が
「ねえ、宿題やってっていい?」
と聞くから、
「いいよ」
とやらせてあげることにしました。
漢字の書き取りでした。
「ねえ、宿題忘れたりする?」
と聞いたところ
「うん、時々。」
「へ〜、先生に怒られるでしょ?」と聞くと
「ううん、怒られないよ。『次はやってきてね〜』って言われるだけ〜。」
最近、情報番組では「体罰」が議論されています。
司会者やコメンテーターの人はやはり世論の目が気になるのか一応反対と言っている人が多いように思えます。
杉山愛さんが
「テニスではありえないです。プレイヤーとコーチの関係はフィフティフィフティです!」
と言ってましたが、学校で先生を個人的に雇ってる子どもなんて見たことがありません。
また、彼女くらいのプレイヤーがトレーニングする場所は『やりたい人』が集まってるわけですから、そりゃあ言うこと聞きますよ。
「体罰絶対反対!」の意見の中に「もう、そんな時代じゃない」というのがよく出てきます。
どんな時代なんでしょうか?
『今の子』は「話せば分かる」子どもになったんでしょうか?
僕が見る限り、昔はまだ、先生は「怖い」とか「尊敬」される存在でした。
「こらっ!」とひと言言われるだけでもビビリました。
今の子どもは「狡猾」です。
その名の通り、「ずる賢い」子はたくさんいます。
先日のエントリーで言ったように、友達同士ですら仮面を被ってたりします。
先生が少しでも怒ると
「暴力反対!」とか
「殴ってみろよぉ〜、教育委員会に言うからな〜」なんて言葉を平気で言います。
親だって昔は
「先生、この子、悪いことしたら遠慮無くガツン!といっちゃってください!」
という親は多くいました。
今だと、学芸会で自分の子どもが主役じゃなかったら乗り込んで文句を言う親だって出る始末。
「そんな時代」です。
冒頭の話しに戻りますが、今の先生は宿題を忘れても怒りません。
それはどういうことでしょうか?
そうです。その子が勉強できなくても「どうでもいい」のです。
実際に6年生で九九が分かってない子どももいると聞きました。
3年生でできてないといけない問題でも、「先送り」にします。
勉強してくる子どもはそれでいいし、できない子どももそれでいいのです。
子どもは宿題忘れても怒らない先生のことを「優しい先生」だと勘違いします。
それは「優しい」のではなく「無責任」なだけです。
もちろん、全部の先生がそうだとは言いません。
ちゃんと生徒と心を通わせて、いけないことはいけないとちゃんと教えてる先生もたくさんいるでしょう。
でも、「その子のため」を思って怒っても「殴ってみよろ〜」と言われたり、父兄に呼び出されて、くそみそに怒鳴られ、挙げ句の果てには自分の生活まで脅かされるとしたら誰が本気で子どもと向き合うのでしょうか?
「先生がちゃんと見てくれなかったからうちの子は勉強しなくなったじゃないですかっ!無責任じゃないですかっ!?」
と言ったら
「もう、そんな時代じゃないんですよ。」
と言われるかも知れませんね。
これはある意味、日本の縮図で「人のことなんでど〜でもいい。」とみんなが無責任になってくると、もう国として終わってしまうような気がします。
こんな国じゃあないでしょ。ね。
僕は怒りますよ。
大切な人にはね。
おしまい