(日本語訳)
「私たちは戦争を、地震を、水害を乗り越えて来た。
ここはファシストの土地ではなく、私たちの土地。
暴力によって築き上げたのではない。
そう、ここはもう文革を行う場所ではない。
この土地で開かれた平和の祭典・オリンピックを全世界が見つめた、
その場所ではないか。
暴力を停止しよう。
私は知っている。私たちの祖国はかつて愛にあふれていたことを」
中国、韓国、台湾、おまけに北朝鮮、そして日本。
遥か気の遠くなるくらいの昔から、命がけで国交をして、
文字を、言葉を、文化を共有して、
自国の端から端に行くよりも近い距離の「アジア」という、ひとつの地域に暮らしてる僕たち。
これだけ文明が進めば意思をひとつにすることは、空気が悪いところに住んで鼻毛が伸びることより簡単なのではと思ったりもする。
それが文明の「進化」ではないのかと思います。
江戸時代の侍文化が崩壊し誰もが自分の夢を持てるようになったように、
ベルリンの壁が壊されたように
ソ連が崩壊したように
人の意思は刀や銃やミサイルよりも強い力を持ってると僕は思います。
だからと言って、僕のような一小市民になにが出来るのか?と聞かれると
好きでいることと、許すことくらいですかね。
とは言え、自分の店のガラスを割られ、鏡を壊され、シャンプーを持ち逃げされたら・・・・
と考えると、そりゃあ、好きではいられませんが、
恨んで生きていると永遠に幸せになれないと僕は思うタイプなので「許す」ことは出来ると思います。
自分のために。
僕の世代では無理かも知れないけど、今の子供達の未来に許し合える時代がくるといいなあ。
「暴力を拒絶し、理性的に国を愛そう」