10年前、僕の母は62回目の誕生日を祝った一月後にこの世を去りました。
少し早いお別れでした。
そのことに一番驚いてたのは当の母なのかも知れません。
前の年の暮れに2度目の手術をしました。
その1年前に、手術をしたとき、担当のお医者さんに
「大分進行してるので、保ってあと半年です。」
とまるで、自分が熱が出て病院に行ったとき、「あ、風邪ですねこりゃ。」と言われたくらいあっさり教えてもらいました。
僕も、あまりのあっさり加減に
「あ、そうですか、はい・・・」
となんだか間の抜けた返事をしたのを覚えています。
癌だったので見かけはそれほど大げさには変わらなかったせいか、最初のうちはまるっきり実感がなかったのですが、日を追うごとに自分の頭の中のくだらない想像力と、あれだけ苦労かけたわりに、なにひとつ親孝行していない自分への情けなさと後悔が膨らんでいくのがわかりました。
ここでドラマならば、「死ぬまでにやってあげたい10の・・・」みたいなタイトルで、いろいろ思いで作りをしてあげたいところですが、
「あと半年」と宣言されているにもかかわらず、それを受け止めきれず、「もしかしたら・・」と運命に抗う気持ちもありました。
母は僕が5歳の頃、離婚して、女手一つで僕を育ててくれましたから「強い女性」なんでしょうが、こと、自分のことに関しては意外に「弱い女」でした。
なので朝飯を一緒に食べながら、たくわんポリポリいわせて
「あんた、もうそろそろ、結婚せんのね〜?」
「うるさいの〜、まあ、いずれするけえ放っとけや〜。」
「・・・・。」
「あ、そうじゃった、母さん、こないだ病院のお医者さんに言われたんじゃけど、母さん、後、余命半年なんじゃって〜。」
「ほんまに〜?ほいじゃったら、悔いのないように残り生きんとね〜。」
などという会話は死んでも(死んだけど)無い。
なので、「いつも通り」の日常を過ごしました。
手術して入院したとき、あっさり先生が
「腸と胃に腫瘍があるので、全摘しました。」
と、魚屋が
「奧さん、サンマの内臓とっといたからねっ!」
みたいな感じにあまりにもサクッと言われたので、こっちが面食らっちゃいました。
「先生が言うには腫瘍は全部取ったから、危機一髪、大丈夫だったそうだ。ただ、今までのようになんでもかんでも食べてお腹いっぱいってわけにはいかないからね。」
という"筋書き"を自分で作って説明した。
なので、母に会う度、僕は"自分の役"を演じ続けました。
超大作の韓流ドラマより長い間。
若い頃には"母の手を握る"など、恥ずかしくてとても出来たもんではありませんでしたが、青白く冷たい母の手を見ると温めずにはいられませんでした。
まるで、消えそうなロウソクの炎を包み込むように、ゆっくり優しく握りしめました。
心の中では、まるで、小さな砂の粒が手のひらから指のすき間を通り抜けてサラサラと落ちていくような儚い思いでした。
この絵手紙は母がこの世を去る1ヶ月くらい前に病室で描いたものです。
母は、もしかしたら、自分の身体が引き返せない場所に来ているのを知っていたのかも知れません。
でも、この時点でもまだ、僕も母も"明日を信じて"日々を過ごしていました。
そして、意識もなく目を開いたまま昏睡状態の母に僕がかけた最後の言葉は
「ありがとう」
ではなく、
「先生が、ちょっと良くなったから気を抜いて食べ過ぎたからこうなったんじゃって、まあ、でも、たまには美味しいもん食べたいもんな〜、ほいじゃけえ、退院して、ちょっと調子が良くなったら、一回だけ、一回だけ、母さんの好きなもんお腹いっぱい食べに行こうや〜。ほいじゃけえ、今は、ゆっくり寝んさい。」
でした。
こと、自分のことに関しては意外に「弱い女」だった母の心は最後の最後まで前を向いてました。
押しつぶされそうな不安に駆られるときも、
どうでもよくなるほど投げ出したくなるときも、
消費税や電気料金が上がっても、
「どんなときでも、いい方へ、いい方へ、考えれば、結果オーライ」
誕生日を迎えた今日、たまたまこの絵手紙を見つけたのは、母から僕への誕生日プレゼントのメッセージだったのかも知れません。
ちょっと遅くなったけど、
「ありがとう。母さん。」
ともみちより