トモが生まれ育ったのは、広島県の安芸郡府中町という町で、車のmazdaの本社のすぐ近くです。
駅は「向洋(むかいなだ)駅」というところで、広島駅の隣の駅です。
安芸郡というと広島市ではないのでずいぶん田舎な感じがしますが、今mazdaの本社やキリンビールの工場とかあり、財政も潤っているので市になる必要がなかったのです。
もちろん、mazdaの社員さんが多く、僕の通っていた府中中学校はマンモス校で1学年、多いときは45人で15クラスもありました。
それが普通なので、東京の小学校の1学年1〜2クラスが信じられませんでした。
僕の生まれ育った場所もちょうど商店街で、いろんなお店や食堂が軒を連ねていました。
祖父が薬局をやっていたのと、店の前に郵便ポストがあったので切手やハガキを売っていたのでそれなりにお客さんが来て賑わっていました。
やがて、スーパーが出来て、そこに買いに行く人もいましたが、やはり「常連さん」や気心知れたお店がいいというので、スーパーと共存するような形になりました。
途中、祖父が他界し、薬局は閉め母と家を出て暮らすようになり、この街を後にすることになりました。
やがて、母は再婚し、横浜へ、
僕は就職して、職場の近くの広島市内に暮らすことになり、
その後、21歳で上京する為、広島を離れることになりました。
その後、何年か過ぎて戻った我が町は徐々に徐々に変わっていきました。
道路が拡張されて、僕の住んでいた商店街から外れたところに大きな道が出来ました。
すると人の流れも変わり、なんだかさびれた商店街になってしまいました。
やがて自動車産業にも陰りが出て、mazdaも大幅なリストラをし、町から人が姿を消しました。
キリンビールも工場を四国に移し、町は急に淋しくなりました。
さらにAEON等の郊外型店舗や夢タウンなどの巨大商業施設が出来て、みんな「車で買い物に行く」生活になりました。
そうすると町の小さな商店街はひとたまりもありません。
お客さんの足は遠のき、さらに、跡継ぎもなく、店主の高齢化が進み、シャッターを下ろす店が増えていきます。
コンビニですら無くなります。
そうなると困るのはお年寄りで、車の運転も出来ず、週に1度子供が車で食料を買ってきてくれる人はまだ幸せで、足腰の悪いお年寄りは近所での買い物も出来ず、
昔だと、商店街の人が顔を覚えていたり、近所のコミュニティーが出来ていて、しばらく顔を見ないと誰かが様子を見に行っていたものですが、それも途絶え、今問題の「孤独死」が増えていってます。
そして、地域の人はショッピングセンターで働き、ショッピングセンターで買い物をします。
これが「街」と言えるのでしょうか?
今、車の運転が出来る若い世代も、いつかは出来なくなります。
「ネットショッピング」という手もありますが、宅配業者が応答のない家の心配をするでしょうか?
黙ってカゴに入れ、黙ってレジに持って行き、黙ってお金を払い、黙っておつりを貰い、家に帰る。
家を出てから一度も喋らずに終わることもあったりする。
さらに、大型の道路を造るため、区画整理が行われ、
僕の住んでいた場所やとなりにあった叔父の家や商店街全てが「立ち退き」になりました。
去年、叔父は長年住んでいた家を追われ少し離れたマンションに引っ越すことになりました。
僕の通っていた幼稚園も無くなります。
こうなると、「思い出」そのものが無くなってしまいます。
そもそも、そんな道路が必要なんでしょうか?
確かに大型店舗は価格が安い。
でも、個人店は「おまけ」があったりします。
僕が買っている近所のお米屋さんも、「5kg」頼むと、5kg入れ終わった後に「おまけ」を入れてくれます。
Hanaの麦茶を買ってる乾物屋さんは小豆を買うと、升で量って最後に「ひとすくい」おまけを入れてくれます。
もちろん、どちらも美味しいし、安全です。
いろいろ質問すると、ちゃんとレシピとか教えてくれます。
美容室だって、同じです。
常連になると、好みやライフスタイルを理解してるので、「その人に合った」デザインやカラーがアドバイスできます。
なによりも「長く付き合う」ためには「正直」でいなくてはいけません。
なので、商品の押し売りや無駄なメニューの提案はしません。
なので「安心して」施術が受けられます。
それこそが
「お値段以上」
なんじゃないでしょうかねえ。